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道北

Mt.ピッシリ森の国 農業・写真家  宮原 光恵 さん【幌加内町】

朱鞠内の苛烈さと豊穣さを抱きしめて

1962年生まれ、標茶町出身。写真スタジオのアシスタントを経てフリーランスに。アラスカの自然と野生動物をライフワークに取材を続けていた際、現在の夫・克弘さんと出会い、1990年に結婚。1995年に家族で幌加内町朱鞠内地区に移住。1997年から就農開始。

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きっかけ
 人間としてどう生きるべきかを追求していた夫とアラスカで出会い、狩猟採集を基本とした冬の生活技術と犬ぞりを学ぶためアラスカネイティブ社会を経験、自然と共に暮らす生活の場を母国で、との思いから道内のいくつかの土地を訪れ、選んだのは幌加内町朱鞠内地区。険しすぎない広大な森と多様な動植物、広い湖とそこに生息する魚たち、雪が多く、夏冬の寒暖差は日本でも有数の地。これらすべてがすばらしい。一目でここだ!と思い、その足で幌加内町役場に行き「朱鞠内で農業をやります」と告げました。20年前のことです。
苦労
 私たちの就農した農地は、とても痩せた土地でした。1年目の春、トマトの苗を植えましたが、1か月たっても「じっ」としているんです。秋に実が一つだけつきましたが、赤くならないまま霜にやられました。毎年EM菌と堆肥などを使い、時間はかかりましたがいい土になってゆきました。2008年のそばの大暴落は最大のピンチでした。農地を拡大し、機械も購入したばかり。「私達はこれでおしまい」と泣いていると、夫の携帯が鳴りました。以前営業に行った首都圏の高級食材店・成城石井さんからでした。「すばらしい、ぜひ納品を」と声がかかりました。本当に色々なことがありましたね。
満足度
 私も夫も農業は未体験。でも若かったから意欲満々でした。5歳の娘と4歳の息子の子育て、20ヘクタールの農地でジャガイモやそばを育てる休みのない作業、今になれば、よくこんな無謀なことを、と思いますが、毎日が充実していましたね。自分たちの好きなことをすばらしい大地でできることの喜びを家族で実感しました。ただ苦労して耕作するだけの生活ではなく「生きている」ことと「命」を味わいながらの生活でした。経営が大変な時も誰かが手を差し伸べてくれました。夫婦だけではここまでは来ることはできませんでした。多くの友人たちに心から感謝ですね。
これから
 子どもたちは今、24歳と23歳です。後を継ぐかどうかは分かりません。農家と農業は好きだと思いますが、朱鞠内地区という地域のコミュニティ自体が維持できるのか、という状況ですから。この地域は、入植当時の農家は4戸から今は2戸です。もし1戸になると、100ヘクタール以上の農地を我が家が維持することは難しい。人が住み続けるためには仕事と雇用が不可欠です。そのためにも、農産物の加工販売など、付加価値をつける体制を作り、雇用を生み出すことが必要です。その取り組みを進めるために、2016年は農業生産法人化と農商工連携を考えています。
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北の☆女性たちへのメッセージ

農業には女性だからこそできることがたくさんあります。その方の特技や才能を生かせる仕事です。勇気と希望を持って飛び込んできてほしい。 経験がなくても大丈夫。私もそうでした。マイナスに考えて良いことはありませんよ。いつも前向きに、プラスに考えると道は開けますから。

取材年月日:
2016年1月13日